うえだ通信

2021-09-30

懐かしい地産地消の時代

ついさっきのことはよく忘れるが、遠い昔のことは断片的だがよく覚えている。
私が小さい頃、家のお向かいは鍛冶屋だった。
今の時代、鍛冶屋は無くなっているが近隣の農家で使う鍬などを作っていた記憶がある。
おじさんとおばさんが向い合って赤く焼けた鉄板を手槌と大槌で息を合わせて鍛えていた。
これを“相槌を打つ”というのは後年知った。
私より年上だった鍛冶屋の息子さんが製鉄所に就職したのも商売柄かな。
一方隣は製麺工場だった。
工場と言っても家族で営んでいた小規模なもので、私より年上の息子さんと娘さんがいて勉強を見てもらった記憶がある。
たまに小さな私も製麺所の手伝いをすることがあった。
手伝いといっても体重の軽い私は、お姉さんの背中に背負われ、うどんのコシを出すための足踏み作業の重しとして夜なべ仕事をした記憶がある。
お手伝いの後は塩味だけの釜揚げうどんの美味しかったことを覚えている。
お世話になったこの家族もいつの間にか引っ越してしまった。
小学校の給食はココのうどんだった。
我が家といえば、和服のクリーニング屋(洗い張り)の商売をしていたが洋服への移行に伴い衰退。親の代までで廃業。
他にも八百屋、お菓子屋、酒屋などがあったが、店と客というよりもご近所さんとしての付き合いが濃くあった様な気がする。
行動半径の狭かったあの時代は地産地消が成り立っていたのだ。
大量消費時代の今は生産者の顔が見えないものばかりだ。

 

枝豆畑風景

コロナ禍を忘れさせる様な清々しい風景です。

画像提供は畑仲間の永井さん

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